西村先生の半生記の記事の、今回は第4回目(最終回)をお届けいたします。
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来たる6月4日(日)12:30~14:30の会では、西村先生の半生記を川手さんとの想い出を交えてご紹介致します。
IVS Japan 監事 西村暢夫クロニクル la Biografia di Nobuo Nishimura
リストランテ文流 会長、伊和中辞典(小学館)編纂者
企画・構成 IVS Japanアドバイザー ジャーナリスト 伊藤宣晃
★8年かかったイタリア語辞典
イタリアが好きだから、イタリア語を生かす仕事がしたかった、というのが私の人生に、いつもあります。小学館の伊和中辞典の編纂に携わったのも、イタリア語を生かす仕事がしたかったからです。
イタリア語の辞書については、白水社と小学館でほぼ同時期に企画が立ち上がったそうです。しかし白水社が順調に刊行したことで、小学館の企画はいったん暗礁に乗り上げた。
1970年代後半、順調だった事業を人に任せ、ヴェネツィアで日本語講師をしていた私の耳に、その話が入ります。そこで帰国を決断し、当時の大阪外国語大学教授の池田廉先生に筆頭編集委員をお願いし、白水社より大判でページ数も多い辞書の企画に練り直して小学館に持ち込み、企画は通りました。
現在も私のオフィスがある高田馬場の平和相互ビルを編集部にして作業を行い、数人のスタッフとともに8年かかりましたが、大きな仕事をなし遂げられたと思っています。
★私の最高のワイン、ヴェルナッチャ
前述のとおり1987(昭和62)年、私はトスカーナ州シエナに日本人のためのイタリア料理学校を開きます。シエナと言えば近くの名産白ワイン、ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニアーノ。これが私の最高のワインです。ダミジアーナという50リットルは入るガラスのかめで、ワイナリーから直接買って飲んでいました。
ルネサンスの人文学者、プラーティナがいう「ワインのない食事は楽しくないばかりか健康によくない」を実践すべく、私は生徒たちに食堂で昼間からワインを飲み放題で提供していました(笑)。しかし生徒たちのほうで午後からのイタリア語の授業を思い、遠慮がちに飲んでいました。
★「同志」だった川手一男さん
IVSジャパンの創立者、川手一男さんは同志だったと思っています。イタリアのワインや文化を日本人にもっと知ってもらいたい、そういう目的を同じにする同志です。
彼が勤めていたモンテ物産とは、文流創業後まもなくお付き合いが始まり、川手さんは何人かいた営業担当者の1人でした。まじめな人だった、というのが私の印象です。だんだん親しくなり、彼がIVSジャパンを創立したさいには頻繁に話すようになりました。こんな組織をつくりたい、と最初に相談に訪れてくれたのが私ではないかと思います。
創立後もいつも組織のことを考えているようで、もっと楽に考えては、と私は彼に言ったものです。物事に真剣に取り組む姿勢は尊敬します。
私が主宰する「日本イタリア友の会」はもう40年、会合は150回を超えて続けています。そうした経験から「ときには楽に取り組むことが長続きの秘訣だよ」などとさまざまな話をしたものです。楽しい思い出です。彼も私と話しているときは、楽しんでくれていたと思います。
★イタリア ~はるかなる想い~
今回、私のこれまでを振り返る機会をいただいて思うに、好きなイタリア語を生かして何か仕事ができないか、そしてそのときどきの人とのつながりを大事にする、いつもそう考えていたことがよかったようです。
私は手紙を書くことが日課で、インターネットや電子メールの時代になった今でも、手紙を書いて皆さんに連絡をしています。そうして守るつながりが、日本とイタリアで本当にかけがえのないものになりました。
振り返るに文流創業当時、定期的に開催していた「ワイン祭り」をまたやりたくなってきました。会費3500円でワインと料理をたっぷり用意し、イタリア音楽を流し、夕方5時から9時半まで、店で仲間やお客さんと語らいだ催しです。
良きワインと良き仲間、かけがえのない出逢いをもたらしてくれるのが、イタリアだと思っています。 (了)