2017年4月23日 (日)

西村暢夫先生クロニクル第3回(全4回)

文流の西村会長(当IVS Japanの監事、イタリア大騎士の称号、イタリア文化研究家、伊和中辞典(小学館)編纂者ほか)が、イタリア文化普及にご尽力なさった経緯を記事に纏めさせて頂きました。

これはIVSJapanアドバイザー、ジャーナリストの伊藤宣晃さんのご協力により、この度記事が完成したものです。

全4回 毎週日曜日にHPへ掲載して参ります。

今回は第3回目をお届けいたします。 

(第1回の記事はこちら 第2回の記事はこちら


  

IVS Japan 監事 西村暢夫クロニクル la Biografia di Nobuo Nishimura

リストランテ文流 会長、伊和中辞典(小学館)編纂者

企画・構成 IVS Japanアドバイザー ジャーナリスト 伊藤宣晃


★料理、ワイン、本…私をとりこにしたイタリアの多様性

 北から南まで見てまわって私を驚かせたのは、1つの村に1つずつ村の名物パスタがあるというような、イタリア料理の多様性です。そして誇り。おらが村のパスタが最高だろう、とイタリア人は実に誇りに思っている。
 仕事がら、書籍の多様性は知っているつもりでしたが、食はもっとすごいと感じたのです。ちなみに出版社にも訪問してまわりましたが、日本では出版社がおよそ東京に集中していますが、イタリアでは全国に散らばっています。土地に根ざした、個性的な地元の出版文化がイタリアにはあります。
 忘れられないパスタ料理を1つ挙げると、パレルモで食べたイワシのブカティーニ(穴のあいたロングパスタ)。イワシをたっぷり入れてダシを効かせたソースに、フェンネルで臭みを和らげる繊細さを持ち合わせます。これがたまらなかった。
 ワインでは、カプリ島で飲んだ地元の白ワインや同じくカンパーニア州のイスキア島の白ワインのおいしさに感動しました。


★セミナーを開いて店のファンが増える

 帰国してからの私は、徐々に書店を息子の徹夫に任せ、イタリア料理の道にシフトしていきます。そうして1973(昭和48)年、オープンさせたのが今も高田馬場で営業を続けるリストランテ文流です。
 レストランを経営するにあたって私が心がけたのは、本格的なイタリア料理とワインを、できるだけ安く、ときにはセミナーなどを開いてお客さんの支持を得ながら続けようとしたこと。書店経営ですでにセミナーを開いていたので、ノウハウはありました。
 ローマのエナルク(国立ホテル・レストラン学校)と提携して料理人を呼び、辰巳芳子さん、本谷滋子さんなど著名な料理研究家につなぎました。
 ワインでは、何といっても岩野貞雄さん。トリノ大学でブドウ栽培と醸造を学び、ワインの著書を書いていました。彼はほぼ毎日、店にワインの指導に来てくれていました。
「飲食物の味を均一化、標準化することは、いいことだろうか。イタリアには味の違うたくさんのワインがある。イタリア人は、ワインは自然の恵みが生かされての味であること、そのことを大事にし、誇りに思っている」。岩野さんはよく、そう語っていました。
 贅沢なくらいの立派な方々が協力してくださり、文流は開店から8か月で黒字を達成します。


★1杯150円からワインを提供して挑戦 

 開店当時、今の調理場のスペースはほとんどがワインセラーでした。店の飲み物はワインしか置きません。ビールはないのか!と怒って帰ったお客さんもいました。でも私にも、文化への挑戦というポリシーがあります。今では耐えきれずビールを置いていますが(笑)。
 どこで飲んでも同じ味の日本のビールでなく、それぞれの土地に根ざした多様なイタリアワインをお客さんに飲んでほしかったのです。
 ワインは1本3000円くらいから提供していましたが、より安いポルトガル産ワインをグラス1杯150円で提供したりもしました。その結果、直木賞作家でポルトガル好きの檀一雄さん(壇ふみさんの父)が店のファンになってくれて、店の会報誌に寄稿してくださるようになります。
 書店では目録、レストランでは無料の会報誌が人と人とのつながりを生んでくれました。
 ワインしか置かない、少し気取った店と受け取られたかもしれませんが、当時は出版社の幹部の人が多く常連になってくれたことが、経営を安定させてくれました。
 彼らは好奇心が強いし経費が使えます。しかも作家さんなど、個性的なお客さんを連れてきてくれます。そうして常連になってくれたのが、芥川賞作家の丸谷才一さんです。


★人とのつながり、料理人の交流が成功の秘訣

 リストランテ文流が成功した理由の1つに、初代シェフの吉田勝昭くんの存在があると思っています。天才でした。服部学園でフランス料理の常任講師をしていたほどの人物で、イタリア料理も絶品でした。彼も木戸星哲くんの紹介です。
 文流開店に伴い吉田くんにはヴェネツィアで勉強してきてもらったので、当時の文流の料理はフレンチとヴェネツィアンを融合させた、洗練された料理だったと思います。これが受けた。
 アルデンテなど当時から本場の味にこだわって要求した私に、吉田くんは日本人の口にも合うようにバランスよくおいしい料理をつくってくれたと思います。洗練されたおしゃれな料理は「暮らしの手帖」などメディアでよく取り上げられ、経営は安定し、今日に至っています。
 その後、私は1987(昭和62)年にトスカーナ州のシエナに日本人のためのイタリア料理学校を開設しました。それ以来、シエナはもちろん、フィレンツェやルッカ、モンテカティーニなどトスカーナ州の各地で活躍するトスカーナ料理のマエストロとの関係が深まりました。
 毎年、年2~3回、日本に彼らを招聘し、料理のフェスタや講習会を開きました。その活動は取りも直さず、文流で働く料理スタッフの教育につながり、現在の高田馬場店の遠藤栄シェフ、国立店の森庸之介シェフの腕を上げる結果になったと思います。
(第4回へ続く)
 
 
IVS Japan 
一般社団法人日本イタリアワインソムリエ