2017年4月 9日 (日)

西村暢夫先生クロニクル第1回(全4回)

文流の西村会長(当IVS Japanの監事、イタリア大騎士の称号、イタリア文化研究家、伊和中辞典(小学館)編纂者ほか)が、イタリア文化普及にご尽力なさった経緯を記事に纏めさせて頂きました。

これはIVSJapanアドバイザー、ジャーナリストの伊藤宣晃さんのご協力により、この度記事が完成したものです。

全4回 毎週日曜日にHPへ掲載して参ります。

今回は第1回目をお届けいたします。


  

IVS Japan 監事 西村暢夫クロニクル la Biografia di Nobuo Nishimura

リストランテ文流 会長、伊和中辞典(小学館)編纂者

企画・構成 IVS Japanアドバイザー ジャーナリスト 伊藤宣晃

 

★アルバイトに明け暮れた学生時代

 

 私は京都の生まれです。1933(昭和8)年生まれです。

 父親は京都で土木技師の職に勤める役人でした。父は戦時下に中国に派遣され、橋をつくるなどの仕事をしていた後、青島で終戦を迎えました。

 終戦後、父は無事に帰国して京都で家族の生活が始まりましたが、後に戦争の後遺症で発病し、52歳のときに脳溢血で亡くなりました。

 そのことがあって、私は高校時代からアルバイトに明け暮れました

 土木作業員をしましたし、甲子園球場で飴売りもやった。ちなみに、国鉄スワローズのファンでした。そうした経験から自分で何か商売をやる目が育まれたようです。

 私の2番目の姉は、後に作家になる折目博子です。そんな境遇で私は育ちました。

 

★映画で見るイタリアに夢中になる

 

 高校時代、たまたま見たイタリア映画に、私は感銘を受けます。

日本と同じように敗戦し、身近に感じていた国と、日本との違いに深い関心を持ちました。私は、暇さえあればイタリア映画を見るようになりました。

当時、イタリア映画はネオリアリズモ(新現実主義)の時代を迎えていました。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』『ミラノの奇蹟』、ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』『戦火のかなた』などを見て、私の関心はイタリア人の生きる姿勢のようなものに惹かれていきます。

 ファシズムに反抗するレジスタンスの精神、カンパニリズモ(郷土愛)というべき自治の精神、貧しくても一生懸命に生きて最後は戦火から自分たちの都市を取り返す姿が、高校生の私の目に焼き付いています。

 役所を辞めた父の仕事の都合で東京にいた私は、当然のように東京外国語大学イタリア語学科に入学していました。

 

★仕事がなくて英語教師に

 

 大学時代、私はイタリアの歴史に興味を持ち、読書会のサークルを主宰して、アントニオ・グラムシの著作を1年かけて読むなどの活動をしていました。

 グラムシの思想で印象的なものの例を挙げると、ひと言で言うと難しいですが、政治には「知的・道徳的ヘゲモニー(支配権)」が大切であり、そこに知識人が果たす役割が本当に大きいということです。

そうした読書体験が、私の精神的な柱になったと思います。

 1956(昭和31)年の卒業後、私は港区立港中学校の英語教師になります。不本意でした。当時は私も周囲の同級生も、イタリア語を生かして就職するなどということはできません。商社に就職した仲間は、イタリア語でなく英語の能力を買われてのことです。

 英語教師時代の私は、暇があればイタリア関連の本を読んでいました。

英語の授業中、私は東京湾を指さして「あの海の向こうにイタリアがあるんだよ」などと生徒に話していたそうです。後にある生徒が私を訪ねてきて、思い出話をしてくれました。「先生の英語は訛っていた。イタリア訛りだったんですかね」とも話していました(笑)。

 

★「私が助けるから」妻の言葉に背中を押される

 

 2年ほど英語教師をしていた私に、転機が訪れます。

 大学卒業後も私の家で続けていた読書会に、木戸星哲くんという人が参加していました。パスタ王と呼ばれ、パスタ宝典などを著わしたブオナッシージの著書を後に日本語に翻訳する人物です。

 木戸くんは当時NHKをレッドパージ(赤狩り)された島谷さんが経営していた新生社の社員でした。社長1人、社員1人の小さな会社でした。

 新生社のイギリスを経由するやり方だと、イタリアの本が日本に着くまでに半年かかる。イタリア語が得意な西村くんが、直接イタリアに手紙を書いて輸入したらいい。その会社を立ち上げないか。申請書類の書き方や外貨の獲得方法は教えるから、ということでした

 夢に見たイタリアとの仕事ができると思った私ですが、当時はすでに妻がいます。安定した仕事を辞めていいのか悩みました。しかし、銀行員だった妻は、私が助けるから、あなたは好きにやったらいいと言ってくれました。

 その言葉で私は決めます。1958(昭和33)年、周囲は田んぼだらけだった武蔵小杉の妻の実家の応接間を借りて、イタリア書房が創業します。
 
(第二回へ続く)
 
 
IVS Japan 
一般社団法人日本イタリアワインソムリエ